自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その44 同窓会報第99号(2022年1月15日発行)


「基礎研究と臨床の狭間で:思い返すことなど」

             自治医科大学医学部アレルギー膠原病学部門 佐藤 浩二郎 

 

研究・論文こぼれ話というコラムですので、研究の中身ではなく、周辺のお話を書かせていただきます。

私は小学校3年まで4年半ほど、父親の仕事の関係で南アフリカに居住していました。別にサバンナやジャングルで生活していたわけではなく、小さいながらもちゃんと日本人学校があって通学していました。学校の図書室に、すでに帰国した家族が残していった学研の「科学」という雑誌があって、それを貪るように読んでいました。付録なども結構残っていましたので使わせてもらい、今思うとフェノールフタレインのような試薬だったと思いますが、色々な液体に加えて色が変わる様に魅せられていました。母親もそれを見て、私に薬局でリトマス試験紙を買ってくれました。食用油に試験紙をつけて、思ったように色が変わってくれないことを不思議に思ったりしていました。当時水溶液という概念を知らなかったのです。「中和」という現象が面白く、洗剤とレモンの絞り汁を交互に果てしなく加え続けたり、また砂糖水と塩水を混ぜて味がキャンセルしないことを“発見”するなど愚かなことをしていました。こういうことを仕事にしている(?)科学者という職業にあこがれの気持ちを抱いていましたが、具体的なイメージは持てておらず、せいぜいSF小説に出てくる極端な登場人物レベルのイメージでした。

 大学4年生頃に細菌学教室に出入りさせて頂き、当時助教授だった岩本愛吉先生(その後東大医科研の附属病院長など要職を歴任されました)にプラスミドの増やし方や回収の仕方など教えていただきました。本当に面倒見の良い先生で、先生にいただいたプラスミドのミニプレップの手書きのプロトコールは今でもコピーを繰り返して手元に残っています。大学時代、免疫学が面白いと思い、臨床に行くにしても基礎研究をやるにしてもこの方向、と決めました。当時の免疫学の教授はサプレッサーT細胞を提唱した多田富雄先生で、文化的な話がお好きな先生でした。「免疫の意味論」や新作能などでもご高名です。具体的な講義内容は今ではよく覚えておらず、先生の紫色のジャケットだけしか頭に残っていません。私は免疫の試験対策委員を担当したのですが、クラスの過半数が追試となってしまい肩身の狭い思いをしました。多田先生の退官の年で、最後の試験は過去問と全然違う出題をされたのです。

 卒業後初期研修を3年間した後で満を持して(?)東大免疫学教室に大学院生として進学しました。教授は多田先生から谷口維紹先生に交代していました。世界に先駆けてサイトカイン(インターフェロンβ)のクローニングに成功した先生ですが、私はそのことを全然知りませんでした。進学前年の大学院説明会の時に、教室の助教の先生から「ここに来たらエクストリームな経験ができるよ」と言われ、「どういう意味だろう?」といぶかしく思いましたが深く考えずに進学し、その意味が後でよーく分かりました。しかしエクストリーム過ぎるため、詳細はここには書けません。クロムリリースアッセイやサイミジンアップテイクのような古典的な実験手法や、もう誰もやらないかもしれないDNAライブラリーを使った遺伝子のプロモーター部位のクローニング(今やオンラインで検索可能)などを経験できたことは大変貴重な体験でした。

 学位を取って臨床に戻ったものの、まだ基礎研究をやり足りておらず、すぐに基礎の世界に逆戻りしてしまいました。谷口研の先輩で整形外科出身の高柳広先生が医科歯科で新しいラボを立ち上げるという話を聞いて、手を挙げて参加させてもらったのです。空っぽの実験室に重要だと思う実験器具を揃えていくのは大変でしたが、良い経験となりました。高柳研は「破骨細胞」を主要なテーマとしていたのですが、この細胞はin vitroでマクロファージ系の前駆細胞に破骨細胞分化因子(RANKLというサイトカイン)で刺激すると数日で融合して多核の巨大な細胞に分化します。この変化は大変劇的で、顕微鏡で観察している内にあっという間に魅せられました。学部学生の時からやりたかったヘルパーT細胞の実験とこの破骨細胞分化の系を合体させて、「破骨細胞分化を促進する新規のヘルパーT細胞サブセット」を解析し2006年に報告しました(Sato K et al., J Exp Med 2006)。これは2005年に報告された「Th17細胞」と同一のサブセットでした。このJEM論文はWeb of Scienceによると、900を越える論文に引用されています。

 このまま基礎の研究者としてやっていくか、臨床の現場に戻るのかということで迷っていましたが、当時医科歯科の膠原病・リウマチ内科の教授だった宮坂信之先生は「臨床戻れば?」と即答されました。基礎一本槍の厳しさを宮坂先生はよくご存じだったのだと思います。埼玉医科大のリウマチ膠原病科に移り、久々に臨床に復帰しましたが、大学院生は常にいましたし基礎研究も細々とではありますが、続けられる環境でした。医局にAutoMACSがあって細胞の分取は容易でしたし、共同施設にFACSCantoIIがありすぐに解析もできました。どちらもまるで個人専用機器のように使っていました。臨床に戻ると日々出てくる臨床的な疑問を解決したいという気持ちが湧いてきます。特にリウマチ・膠原病領域では近年生物学的製剤(その多くはサイトカインあるいはその受容体に結合する阻止抗体)やJAK阻害薬などの、比較的特異性の高い分子標的薬が実用化されています。トシリズマブ投与で炎症マーカータンパクであるCRPが、いきなり高値から基準値内まで下がるというのは驚きの体験でした。ノックアウトマウスで表現系を調べるような解析がヒトでも行えてしまうという状況になっているのです。ある意味怖ろしい、というのが偽らざる気持ちです。

2年半前に自治医科大学に異動し、新規ノックアウトマウスを作って解析などもしていますが、やはりヒト研究に軸足が移ってきており、破骨細胞もヒトの細胞で実験を開始しています。またヒトの血清や脳脊髄液を検体としてサイトカインの増減を調べるようなことも始めました。全身性エリテマトーデスの治療薬として今年9月にI型インターフェロン受容体抗体(アニフロルマブ)が承認されました。今後私たちも使っていくことになると思います。大学院生のころから20年を越えて、またインターフェロンが避けては通れないテーマになりました。巡り合わせを感じます。近年基礎研究と臨床の現場との乖離は急速に進んでいる印象を持っていますが、両者の橋渡しの重要性はますます大きくなっていると思います。

基礎研究と臨床の狭間で揺蕩ってきた私ですが、今振り返ってみるとそのきっかけは、pH指示薬の色の変化に魅せられたあの小学校低学年の時にあったのかもしれません。私自身、まだまだやりたいこと・知りたいことが多く残っているので、今しばらくは粘りたいと思っています。

つい先日、医局にAutoMACS Proが搬入されました。先週金曜日に初めて使ってみました。埼玉医大で使っていたAutoMACSに比べるとかなり自動化が進んでいますが、その分壊れやすくなっているのではないかとちょっと心配でもあります。埼玉医大の頃のように使い込むことができるのか?当時に比べると私の職責も変わってきているために難しいかもしれません。しかし、時間を見つけて取り組みたいと思っています。簡単な道とは言えないのですがやりがいはありますので、基礎と臨床の「橋渡し」に興味のある先生方には是非挑戦してほしいと思います。



(次号は、自治医科大学循環病態・代謝学研究部 教授 武田憲彦先生の予定です)


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